概要
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カンボジアは1953年11月独立後、ノロトム・シアヌーク国王のもと人民社会主義共同体(サンクム)の翼賛体制が続いていたが、ベトナム戦争で米軍がカンボジアに爆撃を加えたため反米に回り、ニクソン政権の1970年に親米のロン・ソル政権が政権を握る。しかし、反米の動きは親中のポルポト派の隆盛を招き、親米政権は1975年に崩壊。親ソのベトナムが侵攻するまでポルポト派政権が残虐の限りを尽くしたという。その後93年の選挙には日本のPKOも参加、王党派が勝利したものの首相を親ベトナムの人民党からも擁立するという変則的な形となった。1997年には親ベトナムのフン・セン首相が勝利し現在に至っている。

カンボジアは日本が国連PKOに参加した初めてのケースであり、日本はカンボジアにおける最大の援助国である。カンボジアの国民議会では、フン・セン首相の率いる人民党が123議席中73議席を占めており、第一党である。最大野党の王党派フンシンペック党は26議席で、フンシンペック党のラナリット元首相は王族だという。副首相、閣僚は双方の党から出ている。国民議会議員の任期は5年で、最近には2003年に選挙が施行された。上院は1999年に新設され、国民議会および地方評議会議員、国王による制限選挙によって上院議員を選出する。

1999年にASEAN、2004年にはWTOに加盟。カンボジアは王国であり、2004年にはシハヌーク国王が引退、シハモニが即位。独立(1953年)・革命(1970年)・共産化(1975年)というカンボジアの歴史は、その後のプノンペン政権と既存政党との内戦(1979年)、1991年のパリ和平協定、1992年の国連PKOにいたるまで、地雷を含めてカンボジア国内に大きな傷跡を残している。プノンペン政権のヘン・サムリンは、人民党の名誉職についている。