概要
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フィリピンでは、バランガイ(村落)をダトゥ(長老)がまとめるという社会形態をなしていました。

その後、スペインに支配される。スペイン人支配は過酷で、1872年にカビーテ兵器工場労働者による暴動によってM.ゴメス、J.ブルゴス、J.サモラが公開処刑(ゴムブルサ事件)、1896年にホセ・リサールが処刑。

1896年には建国の英雄アギナルドがポニファシオと共に秘密結社「カティナープン」を結成、スペインに勝ち、アギナルドは1897年にフィリピン大統領に就任、その後米国に亡命、98年にフィリピンが米国領になった時点で帰国、1899年には米国と交戦。米国はマッキンレー大統領の時代米国はマッキンレー大統領の時代であり、ジョン・フィスケによるManifest Destinyが標榜される時代で、1912年にウィルソン大統領になったことで独立を容認する動きが活発となり、1935年にはタイディングス=マクダフィ法が制定され、フィリピン・コモンウェルス構想が出てきます。

フィリピンは1946年7月4日に独立しているが、米国の独立記念日が7月4日であるため、伝説上の独立記念日1898年6月12日と変更。その後、マヌエル・ロハス(自由党)、エルピディオ・キリノ(自由党、副大統領)、ラモン・マグサイサイ(国民党)、カルロス・ガルシア(国民党、副大統領)、ディオスダド・マカパガル(自由党)、フェルディナンド・マルコス(国民党)が大統領となります。