Sino-Tibetan language family

概要
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チベット語は、チベットやチベット亡命政府のあるインドなどで使われる言語で、話者は推定1千万人ほど。

語形変化せず、後置詞を持つ言語で、日本語と似た語順(SOV型)をとります。ただし、形容詞は後置(NA型)です。

チベット語は、質問に Yes/No で答えず「(はい)そうです」など文章で答える点や、挨拶に定型文がないなど、親しみの持てる点が多くあります。

チベット語は、2300年前のブラーフミー文字に起源を持つ、チベット文字で記述されます。上部に横線のあるものをウチェン(有頭体)文字、ないものをウメー(無頭体)文字といい、最古のチベット文字は8世紀の碑文として刻まれています。

ウメー体には、スクリン、ペツー、キュクイーなどの字体があり、ジャンシンと呼ばれる練習板に、ティクという線を引いて書道を学びます。紙に書く際には、ニュグ(ニュクマ「竹」)という竹製のペンを用います。


チベット文字構成

チベット文字は、上下および前後に文字を重ね、一文字として読みます。

上に書かれる「冠」文字は r,l,s の3文字、下に書かれる「脚」は、r,y,l,w,' の4文字。前に書かれる前置字は、g,d,b,m,' の5文字。後に書かれるのは、g, ng, d, n, b, m, ', r, l, s, 'i の10文字。さらに、s は続けて後に書かれることがあります(gs,ngs,bs,ms)。これら文字の複合体が、一音節を構成します。

各音節の、読まれる文字の前後上下に別の文字が置かれるため、チベット文字では、アポストロフに似た記号で、音節を区切ります。

チベット文字を考案したのはトンミ・サンボータ(632年に訪印)で、経典の訳出で文法が固定したのはこの時代です。ただし、異論もあり、プトンの1322年に書かれた仏教史によると、チベット文字を発明したのは、トンミ・アヌープとなっています。ティデ・ソンツェン王(776~815年)の時代にサンスクリット・チベット語辞典が編集され、欽定訳語(ケーサルテェー)が制定されました。チベット聖典は、チベット大蔵経といい、カンギュール(経典部)、テンギュール(論釈部)に分類されます。書き言葉は経典によって固定されており、これらの古典は、現在でも読めるといいます。口語は、中央方言、西部・東部方言、遊牧民方言、アム・カムド方言、ギャロン方言など異なります。



般若心経はチベットでも同じです。サンスクリットの音写の部分、般若心経の最後の部分、「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」の部分は、チベット語では「ガテーガテーパーラガテーパーラサンガテーボディスヴァーハー」となります。


日本語羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
ギャーテーギャーテーハラギャーテーハラソウギャーテーボージソワカ
チベット語ག་ཏེ་ག་ཏེ་པཱ་ར་ག་ཏེ། པཱ་ར་སཾ་ག་ཏེ། བོ་དྷི་སྭཱ་ཧཱ།
「ガテーガテーパーラガテーパーラサンガテーボディスヴァーハー」




チベットという名前は、テュベット、トゥバット、というトパン、トプット(吐蕃)に由来します。チベット語では、チベットを「プ」といいます。


チベットの地方区分

チベットは、伝統的に、ウー・ツァン(དབུས་གཙང་, dbus-gtsang)、カム(ཁམས་, khams)、アムド(ཨ་མདོ་, a mdo)の「チベット三州」(བོད་ཆོལ་ཁ་གསུམ་, bod chol kha gsum, ポ・チョルカ・スム)と呼び習わします。

中央チベットをチューキ・チュルカ(ཆོས་ཀྱི་ཆོལ་ཁ་, chos kyi chol kha, 法の州)、カムをミイ・チュルカ(མིའི་ཆོལ་ཁ་, mi'i chol kha, 人の州)、アムドをタイ・チュルカ(རྟའི་ཆོལ་ཁ་, rta'i chol kha, 馬の州)といいます。

ダライラマ法王はアムド出身、ペマ・ギャルポ氏はカム出身です。

チベット亡命政府元首相はリンポチェという名で、リンポチェとは、チベット語で宝石を表します。

2011年8月にはロプサン・センゲ(བློ་བཟང་སེང་གེ་, blo-bzang seng-ge)首相が就任しています。